
同志社大学今出川キャンパスのにぎわいからふと外へ足を踏み出すと、静かな松並木の参道が現れる。車の音が遠のき、足元の砂利を踏みしめる音や木々を抜ける風の音が心地よく耳に残る。
南に京都御苑、北に相国寺(しょうこくじ)を望む今出川キャンパスでは、境内や門前を授業への移動経路として通り抜ける学生も少なくない。しかし、ふと建物の配置や参道に目を向けると、そこが単なる「抜け道」ではなく、室町時代から続く禅の大寺であることに気づかされる。通ったことはあっても、じっくり見学したことはないという人も多いのではないだろうか。
鹿苑寺(金閣寺)や慈照寺(銀閣寺)なども属する臨済宗相国寺派の大本山であり、正式名称を「萬年山相國承天禅寺」という相国寺。身近でありながら知られざるその魅力に触れるため、今回は相国寺の平塚さんにお話を伺った。
将軍の寺が五山の上位に
相国寺は、室町幕府第3代将軍・足利義満が造営を発願し、1392年に完成した寺である。寺名は、義満が左大臣、すなわち中国風の呼び方で「相国(しょうこく)」に就任していたことに由来する。
現在の寒梅館周辺から室町通にかけて広がっていた義満の邸宅「花の御所」に隣接して建てられた当寺は、義満の禅宗への傾倒を示すだけでなく、足利将軍家と禅宗の強固な結びつきを象徴する存在でもあった。京都五山制度において、相国寺は義満の時代に一時第一位、のちに第二位となり、現在も名刹としてその格式を誇る。
当時の禅僧は修行者であると同時に、漢文や中国文化に通じた第一級の知識人であり、外交文書の作成や使節補佐を担う外交官のような役割も果たしていた。将軍家に近い優秀な禅僧を通じ、日明貿易によってもたらされた唐物は、武家にとって教養と権威を示すものとなり、茶会や闘茶を通じて武家文化へ浸透していく。そして応仁の乱で物資が途絶えると、国産の焼き物である国焼きなどを中心に、限られた道具や空間に価値を見いだす感性が、後の「わび・さび」の美意識へとつながっていった。将軍の別荘であった金閣・銀閣が室町文化を象徴する顔役であるならば、相国寺はそれらと深く結びつく禅宗文化と寺院ネットワークを支えた本山であり、室町時代以降も京都五山の上位として大きな影響力を持ち続けたのである。
若冲が寺を助けた
取材のなかで、平塚さんが特に熱を込めて語られたのが絵画の話だった。
対外交流の拠点でもあった相国寺には、日明貿易などを通じて中国の優れた絵画が数多くもたらされていた。日本の禅寺は、そうした大陸の美術を学ぶ場となり、日本独自の絵画文化を育てる揺籃の地でもあった。
相国寺は雪舟や狩野派と深く関わりがあったほか、花鳥画で有名な江戸中期の絵師・伊藤若冲も、まさに相国寺に伝わる中国画を熱心に学んだ一人だった。京都・錦市場の青物問屋に生まれた若冲は、相国寺の禅僧と深く交わり、寺が所蔵する中国絵画の模写に没頭した。自宅の庭で何羽も鶏を飼い、その生態を徹底的に観察した逸話が残るように、寺に伝わる伝統の学習と徹底した写生が結びつき、若冲独自の精緻な画風が生まれた。
若冲は相国寺に「釈迦三尊像」と全30幅におよぶ傑作「動植綵絵」を寄進した。これは単なる美術品の寄贈ではなく、仏前を美しく飾り、亡き家族の冥福を祈るための信仰の結晶であった。
この絵が、のちに寺を窮地から救うことになる。明治期の廃仏毀釈によって相国寺が経済的な危機に瀕した際、寺は苦渋の決断として「動植綵絵」を皇室へ献上した(現在も皇居三の丸尚蔵館に収蔵)。その際に下賜された1万円、現在の約5億円相当が、荒廃しかけた境内の維持を支えたのである。「若冲がいなければ現在の相国寺はなかったかもしれない」と平塚さんが語るように、若冲が相国寺に捧げた祈りの絵は、約100年の時を経て寺の存続を助ける力となった。
現在、相国寺派の貴重な寺宝は境内の承天閣美術館で大切に保存・公開されている。作品が背負う信仰と歴史を思いながら眺めると、その美しさはより一層の深みを持って迫ってくる。
禅は「今」の実践を重んじる
臨済宗相国寺派をはじめ、禅宗において修行とは坐禅だけを指すのではない。掃除、食事、仕事といった日常の立ち居振る舞いのすべてが、向き合い方次第で修行となる。密教が儀礼や象徴を前に出すのに対し、禅は坐禅や作務といった身体的な実践を重んじる。これが禅の現実主義である。死後の世界を観念的に論じるよりも、「確実に語れないからこそ、今をどう生きるかが問われる」という平塚さんの説明は、学生にも非常に分かりやすい。
仏教が説く苦しみ(ドゥッカ)は、思い通りにならない変化を受け入れられない執着から生じる。悟りとは老いや病を消し去ることではなく、それらに直面した際にも、迷いに呑まれない心のあり方を指す。毒矢に射られた際、矢を抜く前に誰が射たのかと詮索し続ければ手遅れになるという「毒矢のたとえ」のように、議論に閉じこもるのではなく、目の前の苦しみにどう対処するかの実践が最優先される。
また、仏典についても印象的なお話があった。仏典は、頭で意味を理解するだけのものではない。手に持つことや声に出して唱えることなど、身体を伴う行為そのものも実践となる。理屈にとらわれず唱えること自体にも意義があり、言葉を使いながらも言葉の枠に閉じこもらないために、日々の坐禅や作務が存在しているのである。
近道を、一度見直す
同志社大学と相国寺は、近代の大学と中世以来の禅寺が隣り合う関係にある。境内や門前を通って大学へ向かうことは、学生にとって日常の一部かもしれない。
相国寺側は、学生が通学路として境内を通ること自体を好意的に受け止めているという。一方で、平塚さんは「自転車の速度には気をつけてほしい」と語る。生い茂る垣根の内側から、小さな子どもや参拝者が飛び出してくる可能性があるためだ。
また、相国寺に入ったことのない学生も多いのではないかという。電車通学などで普段境内を通り抜けない学生にこそ、「暇なときにでも境内に入ってみてほしい」と平塚さんは学生に呼びかけた。
相国寺では、法堂に入ってご本尊を拝み「鳴き龍」の響きを体感できる特別拝観や、先述の名品が多数収められている承天閣美術館の展覧会、さらには月に二回、日曜日の朝の坐禅会(維摩会)なども行われている。中でも維摩会には、若い参加者も多いという。
普段何気なく通っている道を、一度立ち止まって歴史と信仰の場として見つめ直してみる。相国寺は、日常のすぐ隣でそのきっかけを与えてくれる、最も身近な存在と言えるだろう。
相国寺周辺の地図。今出川キャンパスから徒歩圏内にある。
秋の特別拝観
9月26日(土)~12月15日(火)まで開催中(※10月18日~21日は法要のため拝観休止)。法堂では、手を叩いて「鳴き龍」の響きを直に体感できるほか、方丈や開山堂の庭園も公開される。講義の合間などにふと訪れてみるのはどうだろうか。


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